小豆島佃煮の歴史


小豆島は中世以前から製塩業があり、近世に入っては豊臣、徳川両時代には、天領として公儀へ塩を貢納することを例としていた。特に、元禄から寛政の約100年間はその最盛期であった。


やがて、江戸後期になると、瀬戸内各地で塩の生産過剰になり、休浜や廃浜が続出した。小豆島でも例外ではなく、之に付随した塩問屋、廻船業も衰退した。その頃、この塩を利用して文禄年間(1592〜95)から自家製として作られていた醤油が、しだいに営業化していき、新企業として、醤油醸造業が出現する。


この醤油は明治・大正・昭和と大飛躍し、小豆島醤油として全国に名を成すが、太平洋戦争のために資材が極度に不足し、特に終戦後は悪質な醤油が横行、その上占領軍がアミノ酸醤油を奨励したので、往年の優秀な天然醤油の危機が訪れた。


佃煮は戦前より企業として島外にはあったが、この時期にこの小豆島の優秀な醤油を利用し、佃煮製造を始めた先覚者が現れ、これが次第に発展して今日の小豆島佃煮へと拡大したのである。


当社の創業は、昭和28年。終戦後の連合軍総司令部が解散し、いよいよ我が国が独立国となった翌年である。その3年後、法人化し品目を拡大。創業以来、約半世紀の間伝統の味を守り続け今日に至っている。


参考資料:「佃煮30年の歩み」 「苗羽の今昔」